ルイヴィトンについて その1

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はじめに

こんにちは、カドノ質店の祭【SAI】です。

今回は、ルイ・ヴィトンついて投稿していきます。
どうぞ宜しくお願い致します。

ルイヴィトンのはじまり

1837年、ルイ・ヴィトンがパリのマレシャル氏のもとで見習いをはじめた。それから間もなくルイ・ヴィトンは、パリのマレシャル氏のアトリエで重宝される職人となりました。これが、ルイ・ヴィトンの極めて特殊な職業の原点であり、木箱、そして後にトランクを顧客の要望に沿って特別注文で作る彼の職人的な製造業者としての経歴のはじまりでした。ルイ・ヴィトンはマレシャル氏のもとで働き、その後ヴァンドーム広場からほど近い、ヌーヴ・デ・カプシーヌ通り4番地に自らのアトリエを開いたそうです。

1854年、ルイヴィトンは自作のトランクを発表しました。このとき防水性のあるグレー地の「グリ・トリアノン・キャンバス」を発表、その布地を用いたトランクを生み出し、「ルイヴィトン・マルティエ(ルイ・ヴィトン・トランク製造職人)」としての歴史の第一歩を踏み出した。

ヴィトン社は、瞬く間に規模を拡大しました。トランクの評判はフランスだけでなく外国にも轟くようになり、注文が殺到。パリ市内の工房だけでは増え続ける注文に対応しきれなくなったため、1859年、近郊の町アニエール=シュル=セーヌに新しい工場をかまえる。

ルイ・ヴィトン 人気ブランド故に

1885年、ロンドンのオックスフォード通りに、海外初出店のルイ・ヴィトンストアがオープン。大躍進ではあったものの、この頃から、人気ブランド故に、偽物との戦いの歴史のはじまりともなりました。トランクの上から布地を貼るという技法は、容易に模造しやすくコピー商品が出回ることとなり、1872年、別の布地を使うようになりますが、 すぐにコピー商品が出回ることとなりました。

ルイヴィトンの意思を継ぐ者

1892年、ハンドバッグの販売も開始し、製品が掲載されたカタログを初めて出版。顧客の要望に従ってどんな備品も取り付け、どのようなトランクにも応じようとするルイ・ヴィトンの精神が綴られたカタログは、彼の意志となりました。この年の2月28日、ルイ・ヴィトンは71歳の生涯を終える。父の意志を次ぐ長男ジョルジュは、鞄と旅と歴史の著作『始源から今日までの旅行(Le Voyage)』を発表。

続発する偽物に対抗するため、新たに打ち出されたのが、創始者ルイ・ヴィトンの「LV」のイニシャルに星と花を組み合わせたモノグラム・モチーフ。 そして商標登録がなされます。この「モノグラム・ライン」が現在に渡るまで、ルイ・ヴィトン社のトレードマークとなります。モノグラム・キャンバスは当時流行していたジャポニズムの影響下にあったヨーロッパで、ジョルジュが日本の家紋などからインスピレーションを受けて生まれたと言われています。 発売当時のモノグラム・モチーフは、職人の手によりひとつひとつ手描きで施されていました。その執念とも言うべき職人の尽力により、ルイ・ヴィトンの偽物は激減していったのです。

さらなる躍進

ジョルジュは、その後アメリカへ渡航し精力的に動き、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアなど様々な町でヴィトン製品の拡販に尽力すると、1898年にはパリ・オートショーにヴィトン製品を出展。 1900年パリ万国博覧会の「旅行アイテムおよび革製品」部門の責任者に就くという栄誉を得ます。 そして、1901年、トランクの中に入れることのできる小さなカバン「スティーマーバッグ」を発表。

1914年、ルイヴィトン本店は手狭になったスクリーブ通りの店舗からパリのシャンゼリゼ通りにトラベル・グッズ専門として移転。 店舗の広さは4フロアで500平方メートル、当時としては世界最大の旅行かばん専門店でした。 そして一気に世界的なブランドとして名声を上げていきました。

投稿してみて

ルイヴィトンというブランドの歴史などをふりかえってみて、あらためて勉強になりました。引き続きいろいろなことを追いかけていきたいと思います。

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