はじめに
こんにちは、カドノ質店の祭【SAI】です。
2023年、あっというまに春。暖かくなってきました。
今回は、フェラガモについて投稿していきます。
宜しくお願い致します。
サルヴァトーレ・フェラガモ
1898年・フェラガモはイタリア南部カンパニア州アヴェッリーノ県ボニートで生まれた。
14人兄弟の11番目。今では、珍しい大家族の1人として。
最初にサルヴァトーレが靴を制作したとされるのが9歳の時。教会の儀式に参加する妹の為靴だった。
11歳で、自宅で靴屋を開業。
15歳でアメリカのカウボーイブーツの工場で働いていた兄弟を頼りボストンへ。その後カリフォルニアに移り、サンタバーバラで映画の衣装として靴を製作することに。そこでハリウッド俳優らを顧客にして、スターの靴職人と呼ばれるようになる。また、足を痛めない靴を研究・製作するため、南カリフォルニア大学で解剖学を学んだ。
1927年、アメリカからイタリアに戻りフィレンツェでサルヴァトーレ・フェラガモを開業。
大恐慌のあおりを受け1933年一度倒産。しかし、イランのソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリー元王妃などの王侯、インドのマハラニなどの貴族やエヴァ・ペロンらの有名人顧客を獲得して復興した。
貴族階級の夫人にその友達を紹介してもらうというやり方で着実に注文を増やして指示を集め、
数年のうちに事業は回復。2年たらずで輸出も再開できるようになり、国内での販売も回復していきました。
拡大路線
回復してきて、まもない1939年頃アメリカ、イギリス、オランダ、フランス、スイス、ドイツ、チェコスロバキア、カナダ、オーストラリアといった先進国で販売するようになりました。
イタリア国内では、フィレンツェ以外にもローマ、ミラノ、トリノ、ジェノバ、ヴェネツィア、ナポリ、リド、ビアレッジョでも店舗を展開。
機械化
時代の流れが早く、このままでは終演を迎えるかもしれないという危機感がありました。
それで、おこなったことは、靴の機械生産です。
職人の技術に頼った靴作りは、買い手のニーズにあっていないということ。高価になってしまうため、金持ちが減っている時代に合わないこと。
機械を駆使した靴の制作をスタート。手作業60%、残り40%を機械化して分業によって効率化することに成功しました。
世代交代
フェラガモは、将来を見越した構想を準備していました。
長女・フィアンマ 15歳の時にフェラガモのアトリエで修行をさせ、職人たちとの交流をさせていた→靴デザイン責任者へ
その感性を引き継ぐ。
次女・ジョヴァンナ 16歳でファッション専門学校に入学→1958年、レディースコレクションを発表。デパートに専門コーナーが作られるなど大成功。
妻・ワンダ 会社に出勤させて、会社の引き継ぎ作業・準備をしていました。
熟練の職人たちも団結して、妻・ワンダをバックアップ。フェラガモ亡き後も事業は拡大していきました。
現在へ
フェラガモは、トータルファッションのブランドへと歩んでいきます。不定期ですが、デザイナーをかえ変化を加えてきています。
2000年の秋冬から、マーク・オディベがレディースデザインを手がけ、2003年の春夏からは、グレエム・グレッグがデザイナーに就任。
2007年には、クリスティーナ・オルティスがチーフ・デザイナーとなっています。
2004年からメンズデザインを手がけていたマッシミリアーノ・ジョルネッティが2010年よりクリエイティブ・ディレクターに就任。
2016年にマッシミリアーノ・ジョルネッティが退任。ウイメンズはフルヴィオ・リゴーニ、メンズはギョーム・メイアンがデザイン・ディレクターに就任しました。
2019年からはポール・アンドリューがブランド全体の指揮を執り、フェラガモというブランドに大きな変化をもたらしましたが、2021年5月に惜しまれながらも退任しています。
こうしてサルヴァトーレの意思はその妻と子供に引き継がれ、新しいデザイナーによって伝統を継承しながらも現代のフェラガモスタイルに再解釈されていっているのです。
2011年にはイタリア証券取引所への株式上場も果たし、浮き沈みの激しいラグジュアリーブランド業界を華麗に生き抜いています。
その後も変わらず、流行を作り続けているブランドとして、ファッション界に君臨しています。
投稿してみて
フェラガモというブランドの歴史をふりかえってあらためて勉強になりました。
私自身、ガンチーニの革靴にあこがれています。(まだ購入できておりません)
これからも、注目のブランドの一つであることは、間違いないですし楽しみですね!