はじめに
こんにちは、カドノ質店の祭【SAI】です。
いつの間にか夏が過ぎ、冬になろうとしています。
今回は、グッチについて投稿していきます。
どうぞ宜しくお願い致します。
グッチのはじまり
1881年、グッチオ・グッチはフィレンツェで生まれた。後にロンドンに移り、イギリス貴族の洗練された感性に刺激を受ける。1901年にフィレンツェへ戻り、1921年に「グッチ」を起業する。以後、数年間で成功を収め、乗馬をモチーフとした皮革製品が人気となる。
イタリアも第二次世界大戦に参戦。皮革は統制品となり革が使えなくなってしまった。代用品としてキャンバス地にコーティングを施して使うことにし、その配色が思わぬ人気を博した。
1953年、グッチオの三男のアルド・グッチが、グッチオの反対を押し切る形でアメリカ・ニューヨークに支店を出した。1953年夏、グッチオ・グッチは72年の生涯を閉じる。グッチオ亡き後、アルドの次男でグッチオの孫のパオロが2代目社長に就任した。
戦争の影響
イタリアでも牛革は統制品となり使用が困難になりました。素材の調達に苦しむ中、グッチオが苦肉の策として代替素材と考案したのは、コーティングを施したキャンバス地でした。代替素材とはいえ、その高級感あふれる仕上がりと配色にはグッチオの洗練されたデザインがうかがえ、これが思わぬ人気を呼ぶことになります。
「皮を使用しないバッグの持ち手」も考案し、代替素材として日本から輸入して造った竹の持ち手(バンブー)シリーズの始まりとなりこれが世界中で大流行。1940年代後半にはロンドン、パリに、1950年代にはニューヨーク、ロサンゼルスへと店舗を展開していくきっかけとなります。 ロドルフォはモンテナポレオーネ通りにミラノ初の店舗をオープン。緑 – 赤 – 緑のウェブ(ウェブライン)が会社の代名詞となります。
マウリツィオの生い立ち
父親のロドルフォは、グッチ後継者など全く興味がない男で、野心家な兄弟達とは違うちょっと変わった五男であったが、創業者であるグッチに最も愛された息子であったようだ。
父親ロドルフォの夢は、映画俳優になることだった。兄弟間での後継者争いや確執から一線を置いたうえで。洗練された気品と身のこなしで笑顔が魅力的な俳優となり、デビューを果たしている。その後、若い女優の卵であったドイツ人のアレクサンドラ・ウィンケルハウゼンと結婚。二人の間に授かったのが、一人息子のマウリツィオ・グッチである。父親はマウリツィオの誕生後、家族を養うために映画俳優を辞め、イタリアに戻って家業のグッチで兄弟と共に働き始める。
母アレクサンドラは、マウリツィオが6歳の時に肺炎で他界。幼くして母を失ったマウリツィオは、父親の非常に厳格な教育の下で育ち、性格は大人しく内気な少年だったようです。大学では成績も優秀でスポーツ万能であったという。後に映画の中でも長女が誕生した際、伯父に「アレッサンドラという名前をつけたのは誰がつけたのか?」と聞かれ、「私のアイディアです」とレディー・ガガ演じるパトリツィア・レッジャーニが答える。
マウリツィオが幼い頃に亡くした母親の名前、アレクサンドラのイタリア語名をオマージュとして第一子に与え名付けたことは、伯父から気に入られ、グッチ家に受け入れられる大きなきっかけとなるシーン。これは、マウリツィオの母親がアレクサンドラという名前だとわかっていなければ、全く伝わらない見過ごされているだろう。
パトリツィアとの出会い
二十歳を迎えた1970年、友人宅でのホームパーティーで真っ赤なドレスを身にまとい踊っているパトリツィアと出会う。
マウリツィオは、とても魅力的であったパトリツィア・レッジャーニに惹かれ、それは一目惚れであり、マウリツィオにとっては、それが初恋だったようです。
たちまち、二人は惹かれ合い恋に落ちた。
マウリツィオの父ロドルフォは、二人の交際は認めておらず、結婚にも大反対をしていた。父の怒りに反し、二人は反対を押し切って1972年10月28日に結婚をした。豪華な結婚式典に招待されたゲストは500人以上ですが、
マウリツィオ父、ロドルフォ・グッチは結婚式には出席しなかったそうです。
パトリツィア・レッジャーニはファッション王朝グッチ一族の一員となった。
拡大するグッチ
世界の主要都市に出店した1960年代には、オードリ-・ヘップバーンやグレース・ケリーといった女優がグッチを愛用したことで、シックなハリウッドスタイルの代名詞的なブランドに。
さらに、元アメリカ大統領のJ.F.ケネディの妻であるジャックリーン・ケネディも、グッチのバッグを愛用していたと言われています。
そして1966年頃、後にアイコンの1つとなる「フローラルシルクスカーフ」を、グレース・ケリーのために作成。
60年代の終わり頃からは、現在のグッチ・モノグラムの起源となる「GG」マークを採用。
これは、創始者グッチオ・グッチの頭文字からデザインされたものです。
1970年代には、香港や東京という極東まで出店。
アルドの代で店舗数は500にまで増え、世界的なブランドへと成長します。
争い
創業者であるグッチオ・グッチ死後、兄弟であるアルドとルドルフォは株を50%ずつ持ちますが、実質的にアルドが実権を握ることでグッチの業績を伸ばしていきます。60年代~80年代のアルドが作り上げたグッチのアイテムは、モカシン、フローラスカーフなど名作揃い。
香水や時計を扱い、1972年には日本への進出を果たし、アジア市場の開拓にも大きな一歩を踏み出しています。
着実に世界的なラグジュアリーブランドとして成長するグッチでしたが、五男のルドルフォが亡くなると一人息子のマウリツィオが株を引き継ぐことに。一方のアルドは、三人の息子ジョルジョ・グッチ、パオロ・グッチ、ロベルト・グッチに3.3%ずつ株を譲り、ブランド経営へ参加させます。これが、一族による覇権争いの始まりでした。
アルドの次男パオロは、アルドに内緒で自身の名を冠したセカンドラインの販売を計画。しかし、この計画を知ったアルドは高級路線のイメージに傷がついてしまうことを懸念し、パオロを追放します。
そのころマウリツィオは、絶世の美貌を持つパトリツィアと結婚していました。グッチの社長夫人の野望を抱いていたパトリツィアは、追放されたパオロの持つ3.3%の株に目をつけます。マウリツィオとパオロに手を組ませて過半数の株式を手中に収めると、社長のアルドを解任するクーデターを起こしました。
一度は社長についたマウリツィオでしたが、アルドはマウリツィオを相手に裁判を起こすと、マウリツィオは社長から追放されます。しかし、そのアルドもパオロに脱税の容疑で告発されるなど一族の争いは泥沼状態に……。
争いの末に
1988年にはマウリツィオが会長へと復帰しますが、それに伴ってジョルジョ、ロベルト、パオロが株を売却。1993年にはマウリツィオまでも株を売却し、グッチ一族はブランドの経営から離れることになりました。
グッチから撤退したマウリツィオでしたが、その2年後に何者かに射殺されてしまいます。事件当初は犯人不明のまま迷宮入りかと思われましたが、数年後逮捕されたのがマウリツィオの結婚相手であるパトリツィアでした。逮捕されてしばらくは容疑を否認していました。のちにマフィアとの間に起きた暗殺の報酬を巡るトラブルが発覚し、容疑は決定的なものとなります。
その動機としては、マウリツィオに対して抱いていた怒りや、パトリツィア自身の豪華な暮らしへの執着など、さまざまな情報が報道されています。
パトリツィア
パトリツィア・レッジャーニ殺人正犯:懲役26年の有罪確定。
しかし、刑務所でも己を貫いたパトリツィア。ペットとしてフェレットを飼っていて、フェレットとゆったりとした生活をしていて、そんなことから、彼女は「勝利の住人」と呼ばれていたとのこと。
完全に釈放されたのは2017年2月20日。
パトリツィアは、模範囚だったため、17年間の服役を終え出獄した。刑期が26年から17年に短縮減刑された事で、「勝利の住人」から変わり、「クロゴケグモ」(黒い未亡人)というニックネームで呼ばれるようになった。
新たなグッチへ
一族の闘争など数々のスキャンダルで名声を失ったグッチ。
復活の立役者となったのがファッション業界で活躍するトム・フォード。クラシックなグッチから新しいファッショナブル路線へと舵をきり、発表するアイテムは、どれも飛ぶように売れ人気を博しました。フォードが作り上げたグッチスタイルの確立は、グッチ復活に大きく貢献したといえるのではないでしょうか。
現在グッチのデザイナーを務めているアレッサンドロ・ミケーレは、グッチの持っていたスタイリッシュな大人のラグジュアリーブランドというイメージを大きく一新し、ストリートカルチャーを取り入れたデザインなど、新しいグッチの形を作り上げています。
2004年にはフランスを本拠地とする流通会社 Pinault-Printemps-Redoute(PPR)の傘下となり、グッチ・グループの株式の10%程度がルイヴィトンモネヘネシーに取得された。この結果、グッチ家の手を離れた。その後、2013年にPPRは組織改編によりケリングと改称、グッチの事業自体もケリングに引き継がれた。
アルドの孫であるグッチオ(ジョルジオ・グッチの息子)はその後、2008年にTOBEGを設立。また、パオロの次男は新たなハウスオブフローレンスを開業し、原点にかえって新たな品質の発信を図るが、グッチ売却の際に交わされた「グッチ家のブランドであるという宣伝を一切してはならない」契約により、世界展開を阻まれている。また、コジモ・グッチは、時計ブランド「COGU」(コーグ)を創立。グッチ家の本家が本社金庫の鍵を現在も所有しており、その返還を求める裁判が係争中である。
投稿してみて
グッチというブランドの歴史などをふりかえってあらためて勉強になりました。
時代や流行りを作ってきた感性が素晴らしいと思いますが、一連の流れが描かれている
「ハウスオブグッチ」を観て、壮絶な過去もあったんだと思いました。