クリスチャンディオールについて

クリスチャンディオール

はじめに

こんにちは、カドノ質店の祭【SAI】です。

2023年がはじまり、2ヶ月が経過しようとしています。あっというまですね。

今回は、クリスチャンディオールについて投稿していきます。
どうぞ宜しくお願い致します。

ブランドの誕生

クリスチャンディオールは、フランス北西部ノルマンディー地方のグランヴィルにて、裕福な実業家の家庭に1905年、5人の子供の2人目として生まれます。貴族家系出身の母の影響を受け、芸術や造形に興味を持ち、デザイナーとしての才能が、この時期に養われていったようです。


繊維王や木綿王と呼ばれた大富豪マルセル・ブサックから、その才能が目に止まり資金援助を受け、1946年にオートクチュールのメゾンを立ち上げます。

翌年、自身初のオートクチュール・コレクションを発表。その美しいデザインが「ニュールック」と呼ばれ、鮮烈なデビュー。その後、バーティカルライン・オーバルライン・チューリップライン・Hライン・Aラインと、毎年次々と新たなデザインを発表して世界のファッション業界を席巻します。

デビューから約10年をパイオニアとして駆け抜け、1957年、52歳の若さで急死してしまいます。

クリスチャン・ディオールの継承

1957年、主任デザイナーに就任したのは、のちにモードの帝王と呼ばれたイヴ・サンローラン。
ディオールの存命中から、自身と共通したデザインセンスを持っていると支持をされて、後継者の一人としてメゾンに迎えられていた。
1958年、サンローランによるディオール(DIOR)コレクションで「トラペーズライン」を発表。当時の新聞には「イヴ・サンローランはディオールを救った。ディオールの伝統は続く」と称讃されますが、1960年アルジェリア戦争に徴兵され、ディオールから離脱しなければなりませんでした。

1960年、イヴサンローランの後継者としてマルク・ボアンが就任。1989年までの約30年間主任デザイナーとしてディオールの意志を継承しブランドを支えました。

マルク・ボアンが発表した「スリムルック」は評判となりました。
現在も参考にするデザイナーがいるほど礎となり、評価され続けています。
1967年、プレタポルテ(高級既製服)、1970年メンズラインを展開。しかし経営危機を迎え、1978年に親会社が倒産し、さらに状況が悪化していきます。
1984年、ベルナール・アルノーが経営を引き継いだことで、再建への舵が取られます。
2017年、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループが、ディオール を買収し完全子会社化しています。

1989年、ジャンフランコ・フェレが主任デザイナーに就任します。

1996年(創業50周年)には、ジバンシィのデザイナーを務めた、ジョン・ガリアーノを主任デザイナーとして抜擢。
ジョン・ガリアーノが手掛けダイアナ元妃が着たブルーのドレスは、メゾンを代表する名作となりました。ジョン・ガリアーノはブランドの価値を引き上げた立役者となりました。しかし、2011年に人種差別発言によってディオールを去ることとなります。それから約1年、レディースライン主任デザイナーが不在となります。

2012年、ラフ・シモンズがアーティスティック・ディレクターとして就任。

2015年のコレクションを最後にシモンズが退任。2016年からメゾン初の女性アーティスティック・ディレクターとしてマリア・グラツィア・キウリが就任。今に至っている。

メンズラインは、音楽、特にロックと融合したデザインは多くの世界的ミュージシャンやハリウッドスターを虜にしました。
2018年、キム・ジョーンズが就任し、現在に至っています。

投稿してみて

クリスチャンディオールというブランドの歴史をふりかえってあらためて勉強になりました。

様々な感性を持ったデザイナーが、繋いできたブランドなんだと思いました。

これからも注目のブランドの一つであることは間違いないですね!

特集記事

TOP